langstat diary

生存報告と備忘録

生き残るための力

 佐藤優雨宮処凛『この社会の歪みと希望』(2021年)を読んだ*1佐藤優の著作を読むのは(恐らく)初めて。雨宮処凛の著作は、意外にたくさん読んでいて、その中でも『自殺のコスト』(2002年)、『右翼と左翼はどうちがう?』(2007年)、『雨宮処凛の「オールニートニッポン」』(2007年)、『生きさせろ! 難民化する若者たち』(2007年)、『学校では教えてくれない生活保護』(2023年)などは名著だと思っている*2
 『この社会の歪みと希望』を興味深く通読したが、第二章「教育の光」がとりわけ印象に残った。特に、佐藤優の両親が戦争体験に基づく「特異な教育観」を持っていて、15歳の息子にソ連と東欧の一人旅をさせた、という下り。

陸軍航空隊でも大卒で英語のできる人たちは、「もう戦争は負ける」とわかっていたそうです。大本営発表ではない本当の戦況を知っていたからです。英語ができない父たち通信兵も、インドのデリーからの日本語放送(イギリス軍による)を短波ラジオで聞いて知っていました。(p.101)

一方、母は十四歳で日本陸軍の軍属になって、沖縄戦に遭遇しました。首里から南方に後退するときに、母は陸軍の下士官から「捕虜にならずに自決せよ」と言われて、手榴弾を二つ手渡されたそうです。(中略)ただ、そのとき、東京外事専門学校(東京外国語大学の前身)出身の通訳兵が、母にそっと耳打ちしたそうです。「国際法という法律がある。米軍は女、子どもは絶対に殺さない。捕虜になれ」と......。(pp.101-102)

 両親は私に、こう言いました。
「自分たちは高等教育を受ける機会がなかったけど、運が良くて生き残った。でも、高等教育を受けた人たちは、戦争のただ中でも、自分の判断で生き残る選択ができた。だから、お前も大学へ行け。適性があるのなら、大学院まで進め」と......。
 つまり、わが家にとって子どもに高等教育を受けさせることは、立身出世のためじゃなくて、「生き残るための力」を身につけさせるためだったんです。(p.103)

 勿論、似たような戦争体験は何度も聞いたことがある。しかし、そのような体験と「子どもに高等教育を受けさせること」を直結して語る言葉を聞いたのは、初めてかもしれない。上記のような教育観を持つ両親に育てられた佐藤優『十五の夏』(2018年)を読んでみたくなった。
 それと、話は変わるが、以下の指摘に蒙を啓かれた。恥ずかしながら、ワタクシ自身は、その視点から大学教育の無償化について考えたことはなかった。

 あと、最近進んでいる大学教育の無償化——これは、経済的理由で大学に進めなかった人に道を開くという意味ではよいことなんだけど、気をつけないと、逆に格差を拡大させてしまうことにもなりかねない。
 なぜかというと、昔に比べて進学率が上がったとはいえ、大学に進む人は全体の半分強しかいないわけで(二〇二〇年の大学進学率は五四・四パーセント)、社会の半分しかいない人たちのために偏った支援であるから。大学に行く人には税金からお金を与えて、大学に行かない人には与えない、ということになる。そこに本質的不平等が内在している、ということは、どこかで意識しておくべきだと思う。(pp.89-90)

 また、つまらぬものを書いてしまった。

*1:一緒に『失われた30年を取り戻す』(2023年)を買った(というか、こちらがメインの買い物)

*2:雨宮処凛というと、今では、貧困支援の活動家・文筆家というイメージなのだろうか。ワタクシが最初に知ったときは、かつて右翼バンドを結成していたこともある、ゴスロリファッションの謎の人物だった(笑) 「この人は何なんだろう?」と思っていると、『バンギャル ア ゴーゴー』(2006年)を書いたり、北朝鮮に行ったり、こわれ者の祭典に出たりして、名前を耳にする機会が増えていった。そして、若者のワーキングプア問題を論じ始めたくらいから、ワタクシもちゃんと興味を持つようになり、あれこれと著作を読むようになった。