langstat diary

生存報告と備忘録

追憶の鬼畜系

 雨宮処凛白井聡『失われた30年を取り戻す』(2023年)を読んだ。昨日言及した『この社会の歪みと希望』(2021年)と一緒に購入。この日記の自己紹介欄に「厭世家。ロスジェネ生まれ、サブカル育ち。」に書いてあるとおり、ワタクシもロスジェネ世代。タイトルに「サブカル」とある本と同様に、タイトルに「ロスジェネ」とある本も片っ端から読んでいる*1。とはいえ、政治、経済、宗教などは専門外なので、サブカル関連の記述をメモ。

雨宮 安室奈美恵華原朋美といった小室ファミリーのスターが人気だった90年代後半の私は、どっぷりサブカルの世界にいました。当時は鬼畜系ブームなどと言われ、死体写真やタトゥー、身体改造、ゴミ漁り、薬物、洗脳などを扱う雑誌が若者に売れていました。『別冊宝島』『世紀末倶楽部』『BURST』『危ない1号』などです。それらを消費していた層は、確実にキラキラした小室ブームに乗れないロスジェネが中心だったと思います。そのかわいそうなロスジェネの1人が私でした(笑)。(p.101)

雨宮 1990年代の鬼畜系サブカルの特徴は、すべてをフラットにしたことだと思います。右翼も左翼も死体もドラッグもゴミ漁りも、みんなただの「尖ったもの、エッジなもの、変なもの」として紹介されていた。私はサブカル雑誌で初めて右翼や左翼の存在を知りました。
 しかもそういう雑誌のスタンスは基本的に嘲笑です。「左翼の奴らがとんでもないビラをまいていたぞ」とか「右翼がこんなことをしてた」「部落解放同盟は昔こんなことをやってたぞ」など、とにかくまとめて馬鹿にし、見下し、笑う。(p.104)

 『危ない1号』、懐かしい! 高校時代に、創刊号からリアルタイムで読んでいた(やばいやつ確定/苦笑) 「全国津々浦々のゲス人間、ダメ人間、クズ人間、王子様、お姫様に捧ぐ」などと表紙に書かれていて、サブカルを拗らせた根暗に刺さるのよ。。。*2
 それはそうと、鬼畜系に「嘲笑」的なスタンスがあったことは事実だけど、それが基本的なスタンスだったのだろうか? どちらかと言うと、「悪ノリ」が基本的スタンスであった気がする*3。異様にコンプラがガバガバだった時代における「不謹慎な遊び」の実践(あるいは傍観、場合によっては妄想)、、、それが鬼畜系の本質だったと思う*4。そして、鬼畜系サブカルの消費者の大半は、その対象(犯罪、薬物体験、身体改造など)の傍観者。特に嘲笑している訳ではなく、単に退屈極まりない日常とは違う世界を覗き見て、「ここではないどこか」に憧れているだけ。筋肉少女帯の歌詞で言えば、「この世の全てに飽き果てて、狂いの世界に憧れて、狂気と自分を結ぶのは、犯罪だけだと考えた」という程度*5。知らんけど(笑)
 歳をとると、昔のことを懐かしむ傾向が強くなるものだが、、、ロスジェネとしては、微妙な立場になってしまった。これまでアレコレと紆余曲折があったものの、現在は曲がりなりにも定職と住居があり、、、端的に言えば、「何とかなってしまった」。それ自体は幸運なことなのだが、、、雨宮処凛がいろんなところで言及している「勝ち組のロスジェネ」になってしまった(「勝ち組」「負け組」という二値分類であれば)。この「勝ち組」は、決してポジティブな意味ではない。自身もそれなりに苦労をしてきたロスジェネでありながら、自己責任論を内面化しているために、自分より下の立場にある人に苛烈な視線を向けがちな、生存者バイアスの塊*6。残念ながら、そういう人間になってしまった気がする*7。頭では良くないと分かっているし、是正したいとも思っているのだけど、骨の髄まで沁み込んだ自己責任論を簡単には拭い去れない。。。そういう自分に対して、自嘲と諦念が強い。「自分にも他人にも希望が持てない」という最近の口癖は、このあたりにも起因しているのだろう。そのような思いもあって、人付き合いを極めて制限している。「孤独に歩め。悪をなさず、求めるところは少なく。林の中の象のように。」
 また、つまらぬものを書いてしまった。

*1:当然、アタリもあれば、ハズレもある。

*2:青山正明村崎百郎の最期を思うと、呑気にノスタルジーに浸っている訳にもいかないのだが。。。

*3:90年代のアングラ文化は、60〜70年代の焼き直しに見えるものが多いけど、、、狂乱の80年代を経ているだけに、90年代のリバイバルには、70年代的な「暗さ」と80年代的な「悪ノリ文化」が共存しているように感じる。

*4:特にオススメする訳ではないけど、鬼畜系サブカルについて近年書かれた本としては、ロマン優光『90年代サブカルの呪い』(2019年)がある。

*5:勿論、当時からエクストリームな人はいたけど、ワタクシが見聞きする範囲では、引きこもりに近い若者が多かった印象。そもそも『危ない1号』のテーマからして、「妄想にタブーなし」だし。

*6:同様の指摘は、2018年の東洋経済「こだまする『ロスジェネが怖い』という悲鳴ー20代にとっては、おそらく恐怖でしかない」という記事にも見られる。当時この記事を読み、現在の職業についている自分について、わりと深く悩んだ。

*7:ワタクシなどは、社会全体から見れば、とるに足らない存在である。しかし、所属する組織のような小さい世界においては、十分に抑圧者として機能し得る。弱者を直接的に苦しめるのは、ワタクシのような「凡庸な」抑圧者である。まさしく、"another brick in the wall"。その点を忘れてはならない。